都会は、特に東京という街は。色々なことがあるだろうけれど絵になる。ドラマになる。そして、時間が経てばいい思い出、ストーリーになる。田舎は…、そうではない。
そこに情熱があるかないか、だけだと思う。
不条理をどう活かすか。「人生」とはそれにつきると思うけど。
男同士ってのわあRTも( ・∀・) イイネ!も基本的にしない。そりゃあ野暮ってもんだみんだから。
映画館をやってた親戚。レコード屋さんをやってたおじさん。儲かるかどうか…だけでなく何かを追い求めていたのかもしれない。どちらも戦争から帰ってきた方。
権力者はいつの時代も放っておけば戦争準備をする。 権威を形成する愚か者を引き連れて。 愚か者はいつの時代も平和な時代においても自ら愚かな争いをする。 狂気の一括払いか リボルビング払いか。 (なんでリボルビング…)。
そうやって生きれなかったのではない。生きなかっただけだ。あえて。君たちが求めるものを提供し挑戦してきただけだ。
「なぜその大学に生きたいの?。」 「シュウショクがいいから(・∀・)。」 くだらん。
強烈に自己を追及する人らがたくさんいる現在ならば、おいらは自他を超えたものを訴えるべき。 忘れてた。
選挙においては、独裁者的な人間しか出てこない。というか出ない。王政は、賢聖が賢政をしく場合があるが、民主主義においては、独裁者にブレーキをかけることしかできない。民主主義のジレンマ。
「俺たちは、打った理由を頭や言葉で説明できる。けど、前田さんはそれがない。」 それが天才と秀才の違い。 落合。
ぼくの心は葉緑体。君のハートはミトコンドリア。
まさか事故後も安全というとは思わなかったけれど。
胃が痛くなる瞬間や選択というものがある。克服すべきものなのか。やめるべきものなのか。経験浅く判断が、つかない。
ノーリスクはない。だから協力するのだょ。みんなで担ぐ♪。そこで、争ってどないするん。盛り上がらんで。
受験指導の師弟関係だいたい縁の長さは長くて4年である。中1から来れば中3か高1まで。中3から来れば高3まで。ひととの縁の長さと距離感は決まっている…?6年というのは、ほぼ100%ない。
田舎のしがらみ脱してテレビ見て大都会に行く。実際は、コミュニティ感覚がNASAすぎて地方都市に戻る。なので…かつての城下町が今隆盛を取り戻しつつある。
おもてなしの心が東京にあるのははじめて知ったでござる。
最近のいろんな状況の決断においてプラスとマイナスの選択は少ない。どちらもうーんという選択だろう。ならば、どっちの選択にしてもいいようになるようみんなで工夫するしかぬぁい。
どういう状況にあっても、無理のないあせらないプロセスを。いいプロセスがいい結果をもたらすのでわ。
どちらか迷ったら。 どちらでもない迷ってない事柄をまずは進める。
一色に染めるのでなく価値観の違うものを組み合わせる。
社会人ゼロ年生のおぃら。みんな先輩♪。最近はみんなを尊敬しているお。
過去や歴史というのは常に解釈不能の不条理である。 1流。勝敗関わらず、不条理を哲学的に糧にして何かをなす。 2流。ゲットイーブンにする。 3流。いつまでも引きずる。 人も国も。 流されず反面教師としたい。
正義のステレオタイプは、 サンプルにとる集合が大きければ大きいほど怪しい。 ○○県民は、○○だ。<○○国は○○だ。 集合を離れてひとりの人間の人生に思いをはせたい。
戦争の中での人間の狂気。平和の中での人間の狂気。 どちらも耐え難い。
ひとと同じことをしていてはひとと同じになる。誰かが言ったね。ひとと同じことをつぶやいていては存在価値がない。
戦争はなくとも、いつの時代も生きるということは試練があるものかもしれん。その中にどういう成長と出会いがあるか とか言ってみる。
人生はトンネルのよう。後ろにも前にも明かりがある。しかし、懐かしさのあまり決して後ろに戻ることはできない。 戻ってはいけない。決して。
オトナになる。ということは、大人たちがつくった客観的な世界観だけではなく主観的な自分の哲学・世界観を構築しその間に身を置き仕事をすること…だと思う??どなんだろ。